書いて、忘れて、発酵させる(仮)

日々の生活で考えたこと、モヤモヤ、気づいたことを書いてみます。

東京の電車で孤独を感じたこと

今日(1月18日)、強烈に電車の中で孤独を感じたので書き残しておきます。

 

私は、郊外に住んでおり満員電車に乗って通勤しています。
中高一貫校に通っていたこともあり、満員電車は慣れっこで、むしろ
電車の中で本を読んだり、作業する時間が大好きです。

いつもと変わらず、仕事終わりに電車で帰路につく途中、とんでもない孤独感を感じました。
今までは感じたことないくらいの気持ちで、正直困惑して、動揺しました。


なぜ、孤独感を感じたのか。


おそらく、乗車しているお客さんすべてが、それぞれスマホという世界に入り込み、
まるで、周りに人がいないような態度を示しているように感じたからです。

リアルにそこに人々がいるのに、心は同じ空間にいなくて、
でも私はリアルにここにる。
それゆえの孤独感。

かといって、電車の中で連帯感を味わったことはないですが(笑)

また、孤独感だけではなく恐怖も感じました。
みんなここにいなくて、別のどこかにいる。
そして、周りの人のことは気にしていない、自分は自分の時間を過ごすという空間。

そういう空間は、日常的でしかないが、今日の私にとっては、
とても印象的で、無意識的に回りの人の感情、感覚が自分の中に入ってくる感じがしました。
みんなが周りに対してどれだけ関心を持っていないかを身を持って感じ取ってしまった感じです。

 

こういう日に限って、その無関心さが再現されているシチュエーションに遭遇してしまう。

乗り換えた電車は、その駅が始発の電車でしたが、すでに満員状態。
はやく家につきたかったので、私も乗車。
発車時間が近づくにつれ、押しあうくらいの満員状態に。
最初に立っていた位置より、だいぶ流されつつ、電車が発車。

ふと横に立っている人を見ると、杖みたいなものを持っていました。
私が立っているのは、優先席の近く。杖を持っている人は優先席の前に立っていた。
優先席に座っている人を見ると、よくは見えなかったが40代くらいの方が眠っていた。
その方も、もしかしたら体調が悪いのかもしれないし、もしかしたら、私からは見えない障がいを持っているのかもしれないとも思いつつ、他の席の人が、
満員状態になる前に、その方に席を譲ることはできなかったのかと考えが巡ってしました。

もしかしたら、その杖を持った人自身が、譲ってもらうことを断ったとか、
私が見ていないことでそういうことが行われていた可能性もありつつも、
その可能性も低いよなと思っていました。


目の前にいる人、そのときに身近にいる人の事を気にかけられないようでは、
本当に人の事を大切にできるのかなとなどぐるぐると思考の歯車が動き出してました。

・ただ、周りの人のことを気にかけるくらい、自分にも余裕がないと難しい
・譲ろうとしたけど、杖を持っている人が男性だったから、ためらったのかも
・いつもなら譲るけど、今日に限っては体調が悪い、心身疲れた状態だったから


杖を持っていた人が座れなかった理由、席を譲ることが着なかった理由など色々考えました。

 

後ほど気づいたのですが、私が立っていた座席の反対がはには白杖を持った方がいました。
彼も随分と長い時間経っていました。
障害を持っている人への手助けの仕方、声掛けの仕方など全く知らなかったため
席が空いたりしても私は伝えることができなかったです。

障害を持っている人とのかかわり方を知っていきたいと改めて思いました。
「多様性の社会」と言いながら、私はまだまだ多様性を理解できていないとも思ったりと、
電車の人々を見ながらいろいろな考えや疑問が生まれました。

突然、白杖を持った方の話に移ったりと支離滅裂な文章になってしまいましたが、
今日生きていて感じた、私の日記でした。